華は野に在る様に
「華は野に在る様に」
この言葉は茶人、千利休の言葉と言われています。
今ある華道も基は茶道から枝分かれしたものです。
ある年、利休の家に植えていた朝顔が大変美しく咲き誇っていたそうです。
それを聞いた時の天下人秀吉は一目見たいと利休の家を訪れました。
しかし、通された茶室には一輪だけ植えられた朝顔だけが飾ってありました。
そこで言った言葉が「華は野に在る様に」
つまり、世話をしてたくさん咲き誇ったものではなく、野に咲く一輪の
朝顔が美しいということ。
この話には色々な伏線があり、このころ利休は秀吉の庇護の基、絶大な権力を
持っていました。
しかしその様な咲き誇る権力の華は、己が見出した侘茶とはかけ離れたものであり
利休は事あるごとに秀吉の意見に対し反対する様になっていったのです。
つまり、「華は野に在る様に」とは朝顔と自分をだぶらせていた、
一人の茶人、芸術家としての誇りによる反抗だったのかもかもしれません。
この一件が後の千利休切腹の遠因となったと言う研究家もいます。
しかしこの言葉、聞く度、言う度に考えさせられます。
おそらく利休の言わんとしたことは、自然とはそこの在る
それだけで完璧な美である、そして人もそうあるべきだと
いうふうに私はそう解釈しています。
はたして私はその様に生きているのか、少し考えてしまいますね。